仙台へ行ってきました。

これは春休みに震災で予定が狂って行けなかったという事もあり暇な真白黒江が家族を代表して祖母のお手伝いなどを兼ねて行く事になった話である。

──そして、着いた先は地獄。

昼夜逆転生活とPCからインターネットを行なう事こそが私にとっての健康であるのに85歳の祖母の家にはPCが存在せず、加えて朝は7時に起きなければならず夜は20時になると「寝なさい」と怒られる場所だったのだ……。
何とか携帯電話から毎日ネットに繋ぐことにより精神の安定化を行なっていたのだが度重なる親戚の襲来、この世で最もやりたくないボランティアなどという強制労働により心身ともに疲弊していき「このままでは祖母より先に召される」と心身ともに限界が近いと感じ取った私はぴったり二週間で帰郷したのであった。

実に健康的な食生活と実生活を送っていた日のことだ。親戚の叔父さんに「被災地を見てみないか?」と言われた。「ああ、目の前で見て感じて考えて欲しいのだな」と判断し、そして「見てみたい」と興味を持っていた私は二つ返事をして、僅かに逡巡してからカメラを手に行くことに決めた。
南相馬市の方から塩釜市までのドライブだ。だが海岸沿いを通ることは出来なかった。どんなに近づけても海岸線から1kmがいいところだった。警視庁から派遣された警察官が検問しているのである。そして、そのすぐ近くで自衛隊員が瓦礫を片付けているのだ。
道路と歩道の間には1m近くの瓦礫がどこまでもどこまでも続き、ガードレールは水平近くまで曲がり、トラックすらも引っくり返っていた。電柱すらも薙ぎ倒されて電線が揺れていた。家は無い。あっても一階が無い。そんな光景が延々と続いている。
住宅街を通っていると片づけをしている住民が居た。さすがに一ヶ月も経つと少し疲れた顔をしているだけだったが、どんな思いで家の前に運び出していたのだろうか。もう既に好奇心など失せて、しかし目を逸らすことも出来ず、ただ眺めることしか出来ない。
そこに追い討ちをかけるかのように瓦礫まみれの倒れた墓石に向かって祈っている女性が現れた。心の底から見に来なければ良かったと思った瞬間だった。カメラなんて必要なかった。自分は報道なんて大義名分もなければ被災者でもない。あの光景が焼き付いて、消えない。